ちいさなやけど
どうしてかしら?
弾ける笑顔と鈴みたいなあの子の声
流れるような、金色のおさげ髪
私は二人のことが大好きなのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。
ジリリリリリ‥‥‥
お手製の目覚まし時計がけたたましく鳴り響き、
ルッカは頭を振りながら手を伸ばして叩いた。
リンッ
時計はすぐに大人しくなったけど、頭はすぐには冴えてこない。
もぞもぞと毛布をかぶり直して、ルッカは低くうーと唸った。
元々低血圧なのもあるだろうが、
昨日は特に、なんだかいやな夢を見たような気がする。
悪夢と呼ぶには奇妙に暖かい‥‥、
例えば自分の中に流れる、血のように赤い。
いいえ、血ではなく、やけどの跡のような‥‥
ルッカらしくもなくとりとめのない思考が、
まだ目覚め切らない頭にわだかまり、毛布にくるまったままで
危うく二度寝しそうにうとうととしていた、その時。
トントントン‥‥
軽快な足音が階段を上がって来て、部屋のドアがバタンと開いた。
「ルーッカ!早く起きてよー。朝ご飯、みんなで食べよ」
とっくに起きて身支度も済ませていたらしいマールが
朝だというのに元気一杯で起こしにやって来たようだ。
「んー‥‥今、起きるわ‥‥」
眉間にタテジワを刻んで、ルッカはやっと起き出した。
近眼の上に寝起きなので、周囲が良く見えない。
ベッドサイドに置いたと思った眼鏡が見当たらず、
緩慢な動作で探していると、マールが素早く見つけて差し出した。
「ハイ」
「あら‥‥ありがと」
あくびをかみ殺しながら眼鏡をかけるルッカに、マールが首をかしげながら言った。
「前から思ってたけど、ルッカって美人だよねー。
ふだんは眼鏡とヘルメットで、ちょっとわかりにくいけど‥‥、
目元が涼しげっていうのかしら。羨ましいな」
「あら、そう?‥‥ありがと」
ルッカはちょっと複雑に微笑んだが、マールは気付かない。
「先に降りてるねー。早くしないとクロノにぜんぶ食べられちゃう」
トントントン‥‥
上がってきたときと全く同じ、迷いのない軽快な足取りで、
マールは階下に降りて行った。
食器がカチャカチャとぶつかりあう音、そしてルッカの両親や
クロノたちが談笑する声が、かすかに聞こえて来る。
ルッカはベッドに腰掛けたまま、しばらくぼんやりとしていた。
ありふれた、なんてことのない昼下がり。
平和で、暖かくて、つい眠くなっちゃうような。
「お茶、入ったよ!」
慣れないてつきでトレイをかかげ、マールが香茶をくばってゆく。
大きなお皿には、ララ特製の二色マカロンがたくさんのっている。
お茶を配るそのついでのように、彼女はそっと身を折って
何かをクロノに囁くと、クロノはにっこりと微笑んだ。
二人して一瞬、こちらを見た気がしたけれど、たぶん気のせい。
気のせいだから。
ルッカは気付かないフリをして、手に持ったしかくい計器を睨んでいる。
もう片方の手には、先端があかく焼けた、
はんだごてのようなものを掲げて持っていて。
目を離したらたいへんだもの。
ロボの先から伸びたコードから、さまざまな数値がはじき出されて
音もなく計器に表示されてゆく。
このはんだごて、みためより重いのよね。
これはだいじな整備だもの。
「見えないフリ」なんて、慣れてるもの。
‥‥慣れている?
そもそも、どうしてそんなことを‥‥、
「見えないフリ」なんてしてるわけ?
慣れてしまうぐらい、頻繁に?
一瞬ぼおっとしていたらしい。
『じゅっ。』
「キャッ‥‥」
はんだごてを持った手が知らないうちに下がってしまって、
計器を持った手の甲に、小さな赤い跡が焼きついた。
それでもルッカは、計器を放さない。
「ルッカ!」
そこここにさまざまな本が積み上がった床を、
マールは器用にぴょこぴょこと飛んで来た。
「あ、あつつ~っ‥‥」
「キャッ!真っ赤になってるじゃない!」
「あ、はは、ちょっとボケちゃってたわ。大丈夫大丈夫‥‥」
ちょっと涙目になって、それでも笑うルッカ。
痛くて涙がにじんだ。
それだけよね。
その他になんて何もないわよね。
「これぐらい。後で薬塗っとくから平気よ」
「だめよルッカ、ケアルかけるから、ちょっと待って‥‥」
「ちょっと見せて」
クロノもそばにやってきて、ルッカの手を取った。
「あちゃ~」
とくん、と心臓がひとつ主張する。
何を?
わからない。
「マール、早く」
「せかさないでったら」
むにゃむにゃと呪文を詠唱するマールに、ルッカの手をとったまま、クロノが言う。
「跡が残ったら大変だから」
「放して!!」
パシッ‥‥
クロノの手を振り払った、乾いた音が、やけに大きく響いて。
クロノもマールも、大きく目を見開いて、ルッカを見た。
「あ‥‥ご、ごめん!ごめんね。ちょっと痛かった‥‥から‥‥」
無意識に後ずさって、かかとが本の山にぶつかった。
「ほんとに、ほんとに何てことないの‥‥」
眼鏡はちゃんとかけているのに、二人の顔がぼやけて揺らいだ。
ぽたぽたっ
大粒の涙が木の床に落ちて、ルッカは信じられないものを見たような気がした。
「ルッカ、待って、すぐケアルを‥‥ケアルガを」
涙を落としたルッカよりも泣きそうな顔になったマールはおろおろとしたが、
動転のあまり舌が回らず呪文が唱えられない。
ルッカの涙も止まらない。
黙ってクロノが一歩まえに進み出たので、ルッカの全身がビクっとなった。
ルッカはもう何も言えず、くるりと回れ右して、
クロノが止める間もなく自宅を飛び出して行ってしまった。
「ルッカ、気すんだか?」
「うん‥‥ごめんね」
さんざん泣き腫らした目で、ルッカはエイラに微笑んだ。
原始、イオカの村。
エイラなら守ってくれると、とっさに思ったから。
ルッカの泣き顔など初めて見たエイラは、最初こそ驚いたものの、
すぐに姉のような優しさで、ぽろぽろ涙を落とすルッカの頭を
泣き止むまでずっと撫で続けていてくれたのだった。
「私、ちょっと疲れてたみたい。恥ずかしいわ」
「何恥ずかしいか?泣いたことか?泣きたいとき泣く、当たり前」
ケロリとした様子のエイラの言葉で、ルッカはまたずいぶん胸が軽くなる。
「エイラいつもよく笑う。よく怒る。よく泣く。それ元気いう。」
「うん、そうね‥‥」
ルッカがほんのり微笑む。
「‥‥エイラ、聞いて良いか?ルッカどうした?何あった?」
「うん、あのね」
言おうかどうしようか迷ったが、エイラには話してしまいたいと思った。
「エイラは、キーノが他の女の子と仲良くしてたら、どう思う?」
そう聞いてから、顔がカーっと火照るのがわかった。
うす暗いテントの中、顔がいろりの火に照らされていなかったら、
すぐにエイラにもそれとわかっただろう。
だいたい、たとえ方もちょっと違うかも知れない。
キーノはエイラの婚約者だ。
ルッカとクロノは単なる幼なじみに過ぎないのである。
そしてどう見ても、クロノはマールとお似合いなんだから‥‥。
赤くなったりしょんぼりしたりしているルッカを
難しそうな顔で見ていたエイラは、ぽつりと言った。
「クロか?」
「!!!!!」
図星を点かれて口をぱくぱくするルッカに、エイラは意外なことを言った。
「平気。クロ、ルッカ大事に想ってる」
「エ、エイラ、あのね‥‥」
「大丈夫、エイラ保証する」
エイラは自信満々だったが、ルッカは肩を落としてゆるゆるとかぶりを振った。
「クロノには、マールが居るじゃない‥‥。
それにだいたい、あいつとは単なる幼なじみで‥‥」
今までに何度となく、自身の内でも繰り返された言葉を吐いた。
いやにそらぞらしく、言い訳めいて響く。
この言葉を言うたびに、血を吐くような気分に囚われ始めたのは
いったいいつからなんだろう‥‥。
「ルッカ、ほんとにそう思ってるか?」
「‥‥!」
そうだ。
言い訳めいているのではなく、本当に言い訳なのか。
自分への、逃げるための言い訳。
金色の笑顔を持つあの少女に、勝てない言い訳。
その時、テントの入り口がふぁさりと開いて、遠慮がちにキーノが顔を出した。
「クロ、来た」
「!!!」
慌てて立ち上がったルッカを見て、キーノも慌てた。
「シルバード、たった今、空、来た。だからクロこれから降りて来る」
まだ村には降りて来てないのか。
安心したのも束の間、どちらにしろすぐに、クロノもマールも来るだろう。
どうして良いか、解らない。
ルッカはエイラの制止もきかず、テントを飛び出すと、
上空のシルバードから隠れるように木陰を渡り、走って行く。
エイラのもとに来た時も、これといってどうしようという目的はなかったし、今だってそうだ。
いつもの明晰な判断力もどこへやら、すっかり動転したルッカは、
ただクロノたちから逃げ隠れることだけを考えていた。
いいえ。と、走りながら思う。
涙がにじんで前が良く見えない。
いいえ。私は、期待してた?
クロノが、原始だろうと、未来だろうと、迎えに来てくれることを?
だけどそれだけ。
私はクロノの、おさななじみ。ともだちなんだから。
クロノの隣に居るのは私じゃない。
マールが居るんだ。
「!」
ずざざーっ!
足元の石にけつまづいて、ルッカは思いきり前に転んでしまった。
とっさに顔をかばったので、眼鏡は大丈夫だ。
「い‥‥いったぁ‥‥」
しかし、情けなくて、手足に力が入らない。
うつぶせに倒れたそのままで、ルッカはしくしく泣き始めた。
何やってるのかしら。何やってるのかしら。何やってるのかしら。
いつも意地張って、肝心なときに何も言えない私。
みんなほんとに世話が焼けるんだから、私がいないとダメね。
誰のセリフなんだかわからない。
涙に濡れたまぶたの奥にちらつくのは、クロノの笑顔。
そうよ。
私はクロノが好きなのよ。
こんな簡単なことに背を向けて、逃げて、隠れて。
まっすぐにクロノを見つめるマールに、かなうわけがない。
勝負にすらなってない。
その時、何かに陽光が遮られ、倒れたルッカに陰が差した。
「ルッカ」
がばっと上半身を起こすと、そこには、息を切らせたクロノが立っていた。
逆光になった額に汗が光り、いつもと違った雰囲気に見える。
「あ、わっ、わっ、わっ」
地面に座ったまま、ばばばと手を動かして、
涙に濡れた顔を拭き、転んで汚れた服などをはたくルッカ。
その前にクロノはしゃがみ込んで、はぁーっと言って頭を垂れた。
「ホント、心配したよ。全く‥‥」
そしてクロノは顔を上げて、安心したふうに息をついた。
「でも、無事で良かった。本当に。‥‥さ、帰ろう?」
差し出された手を見て、ルッカの表情がさっと硬くなる。
一瞬きょとんとしたクロノは、慌てたようにすぐ、
自分の服でごしごしと手を拭いて言った。
「ゴメン、僕の手、そんなに汚かった?
だからルッカ、あんなに怒ったんだよね?
いつもちゃんと洗ってるんだけど、参ったな‥‥」
その言葉を聞いてどっと押し寄せた疲れに、
いつもの安心感も取り戻しながら、ルッカは聞いた。
「‥‥ねえ、マールはどこ?」
「いや。マールは、待ってるからひとりで迎えに行って来い、って」
ルッカはうつむいた。やっぱりマールには解ったのだろう。
そりゃそうよね。
そしてマールは、クロノひとりで迎えにゆけと、そう言ったのだ。
大した自信ね。
それじゃあますます、帰れるわけがないじゃないのよ。
「ホントに大丈夫?立てる?」
手を貸そうとするクロノに、ルッカは座ったままでじりじりとあとずさった。
「‥‥ルッカ?」
「帰れないわ、私」
「どうして!」
「どうしてもよッ!あんたなんか嫌いなの!」
さくり。
自分の放った言葉が、自分のうちがわを深く深く切り裂いた音がした、その時。
ルッカは、クロノの腕の中にいた。
「それでも僕は、ルッカが好きだ」
たった今、自分で切り裂いた傷が、
「嫌われても、避けられても‥‥そばに居たいんだ」
傷が、消えた。跡形もなく。
だけど頭ではまだ飲み込めない。
クロノは何を言ってるの?
「ルッカに、嫌われてるんじゃないかって、ずっと思ってた。
マールと会って、カエルと会って、ロボと会って‥‥
いつからそう感じ始めたのか覚えてないけど‥‥」
ぐっと腕に力を入れて、ルッカを抱きしめる。
「だけど、どうか今だけは、言わせて欲しい。
キライだって突き放されても、伝えなきゃいけないんだ。
僕はルッカのことが、好きなんだって」
同じだ。
こんなにも同じなのに、クロノは、おそらくはマールも、私にはないものを持っている。
逃げない勇気と、向き合う強さを。
「クロノ、ごめん‥‥」
「うん、わかってる。僕こそごめ‥‥」
「いいえ」
身を離そうとしたクロノの肩に手を置いて、
ルッカはすっ、と、クロノに顔を近づけた。
クロノの赤い髪と、紫のおかっぱが、風に吹かれて混じりあう。
数秒後、顔を離したルッカは、息をついて言った。
「ぜんぜんわかってないじゃない。
ううん、私も長い間、知らなかったのよ。
‥‥一番、世話が焼けるのが私だってことも、
クロノがいないとダメなんだってことも、ね」
おしまい
みおのすけ様 【 Tiny sheep 】
- 2008/09/05 (金) 01:11
- 小説